おっぱいノイローゼになって気づきました

母親と、夫と、子ども。そして自分とのこと。

退院する前夜に、おっぱいと話したこと

おっぱいについて

このブログでは「おっぱい、おっぱい」と連呼しますが

「おっぱい」とは「母乳」と「その母乳が出る乳房」のことを言います。

 

というのも、出産するまでは公共の場で「おっぱい」なんて

絶対言えなかったなって思い出したんですよ。

乳房とか乳首とか絶対無理。

う〜ん、バスト、胸は言えたかな・・・

げんこつ山のたぬきさん〜♪ うッたい飲んで〜ねんねして〜♪

くらい、ぼやかして発音していたんですよ。

でも「おっぱい」って言葉、可愛いなって思います、今は。

今は、愛着が半端ない。

慣れというのは、不思議なものです。

 

目次

 

 

自分の思考の癖

さて、おっぱいが出ないまま退院するのは嫌だと思っていた自分。

なんでかというと、医院長や助産師さんに

「無事、おっぱい出るようになりました!ありがとうございました!」

って言いたかったから。

(時間的なタイムリミットも感じてかなり焦っていました。)

 

これ私の癖だなって思うんだけど

私は早く「私はもう大丈夫です!」って人に言いたくなっちゃうんですよね。

言いたいというレベルじゃなく、もうそれが全て、みたいな感じ。

早くそう言えるようにならなきゃって、なってる。

補足ですが、こういうの、ほんと大事だと思うんですよ!

「待ってくれている人がいたから頑張れた」とかそういうストーリーが

私も大好きだし、すごく励みになるのは確かですよね。

でもそれが全てではないはず。

 

ここで私が整理したかった理由は

「弱っている自分には価値がない」というような思考からきていて

本当の自分を誤魔化しながら生きていたな、というようなことを感じたからです。

 

 自分がいつでも気にしていたこと

そして「おっぱいが出ない」と

とうとう気づいた時に真っ先に、私が気にしたこと

 

・お母さんに認めてもらえない

・母親失格だと思われる

・夫や義父母はどう思うだろうか

・おっぱいをあげずに育てている人はどれくらいいるのか?

・初乳をあげれなかった人はどれくらいいるのか?

・粉ミルク代はどれくらいかかるのだろうか?

 

と、こんなカンジだったんですね、正直に言うと。

 

え?赤ちゃんのことは??

赤ちゃんに母乳で育って欲しいという思いは??

 

自分が周りからどう見られるか

平均的な何かと比べてどこの位置なのか

どう評価されるのか

そしてどんな負担があるのかという

 

本当に呆れるくらい自分のことばかりで

我が子に対する願いとか、おいてきぼりでした。

 

そのことにまず気がついたこと。

立派な母親として誰かに認めてもらえるよう繕うポーズじゃなくて

もっと純粋に我が子への願いにフォーカスしようって思ったんです。

 

自分はこの命とどう向き合っていくのか

そういうことを一晩かけて真剣に考えました。

 

たたかわず、いたわることに集中した

そして自分の体を大事にしてこなかったことについても考えました。

自分を大事に思えず投げやりであったこと

女であることを否定したいような気持ち

思春期の戸惑い

自分の胸にまつわる、母親とのエピソード

 

ボロボロぼろぼろ・・・いろんなものが出てきて

「ああ〜私、辛かったな・・・」って泣いたんです。

 

私辛かったな、ずっと緊張してたなって。

私のおっぱいはガチガチでした。

 

産後の入院中、おっぱいのケアしてくれた助産師さんも

「硬いね〜」って言ってたなって思い出しました。

 

助産師さん「硬いな〜・・今まで色んな人のおっぱい見てきたけど・・・」

 

見てきたけど??? って思って、その後の言葉を待っていたら。

「まあ、私も全てのおっぱいを知っているわけじゃないから」って。

 

何を言おうとして、何をためらったのかなって、気になったけど

怖くて聞きませんでした。

 

「おっぱい、あんたも辛かったね」

 

自分で自分を抱きしめるように

私はおっぱいを抱きしめて

泣きました。

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