おっぱいノイローゼになって気づきました

母親と、夫と、子ども。そして自分とのこと。

「戦う」おっぱい

出産後、母乳が全く出ないまま、5日も経ってしまった。

今回の話は、退院前日の記録です。

結論を先に言うと「おっぱい出ました」

 

目次

 

回復に必要な本当のケアとは

退院前夜、助産院の医院長とおしゃべりしました。

赤ちゃんのお世話で頭がいっぱいだったのを感じて来てくれたんだと思う。

 

泣く赤ちゃんを抱っこしたり、哺乳瓶でミルクをあげたりしながら

私の話をとにかくたくさん聞いてくれました。

他愛のない話も、真剣な話も。

 

不安でいっぱいの夜も、こうして誰かがそばにいてくれて

「自分が自分で回復していくためのスペース」を用意してもらえるというのは

こんなにもありがたいことなんだな、と思った。

長い間、人との距離の取り方がわからなかったけど

この日、心地良い関係というのを、心で感じました。

 

そして心と身体が、こんなにも繋がっているのかというのを

この「おっぱい出ない問題」で

とてもとても。

痛いほど。

感じた。

 

自分は保健室の先生だけど、私は医院長がしてくれたようなケアを

子どもたちにできていなかった。

 

誰かがそばにいてくれて、そこには信頼があって

自分で自分を信じて、心と身体を回復させていく。

こんな回復のカタチがあったのか、と思った。

 

そしてこの「おっぱい出ない問題」は

本当に本当に「痛い」経験だった。

振り返るたびに「痛み」も思い出すけど

ずっと忘れないようにしよう、と心に決めた体験だった。

見ないようにするのではなく

時々、光を当てて思い出そうと決めた

そういう体験だった。

 

まだ戦おうとしていた

医院長が部屋から出ていく時

「奇跡が起こりそうな気がする」と言ってくれた。

私は「はい。勝てそうな気がします!戦います!」と言った。

 

その時、医院長はとてもびっくりした顔で

「・・・何と戦うの?」

と言うもんで。

私はきっと、さらにびっくりした顔をしていた。

 

何と戦うの??

 

さあ?

 

何と戦おうとしていたのでしょうか。

何に勝とうとしていたのでしょうか。

私は何かに勝ちたかったんでしょうか。

 

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医院長が部屋を出て行ったあと

ボロボロぼろぼろ・・・いろんな感情が出てきて。

 

ずっと忘れてたけど。

どこかでいつも影を落としていただろうおっぱいの記憶。

自分を大事にしてこなかった、悲しみ。

何かといつも戦って、緊張していた、心と身体。

 

「ああ〜私、辛かった・・・」って、泣いたん。

もう「戦うのはやめよう」って泣いたん。

俺ね、すごい、泣いたんよ。

 

そして、出た

自分で自分をハグして

おっぱいに優しくタッチし続けて

何時間も、子どもみたいに泣いていたら

 

おっぱいがジワジワ〜と熱くなってきたんですね。

 

この時は「あれ?熱出てきたかな?」と思った。

 

睡眠不足が続いた時の、「あれ?風邪ひいた?」みたいな感覚で

「やだ〜!酸っぱいものでも飲んで、そろそろ寝ようかな」

と思ったんだけど

なんか違う。

 

乳首から、何かが、滲んでる。

何かしらの〜液体が〜出てる。

 

汗?

 

これは風邪?そして汗?

 

でもおっぱいが、すごく痛い。

 

こんなに私のおっぱいが主張したのは、たぶん思春期以来だ。

あのブラジャーを拒否していた頃、100メートル走を走った時の痛み以来だ。

 

もしかして

おっぱい出てるんじゃないか?

 

夜中私の話に付き合ってくれて

明け方の今やっと寝ただろう医院長を起こすのも

気が引けたんだけど、心臓のバクバクが止まらない。

「私の願いがおっぱいに届いたのかもしれない」

医院長に内線をした。

 

部屋を飛び出し、医院長のもとへ向かう。

同じく部屋を飛び出して駆けつけてくれた医院長と顔を合わせ

階段の真ん中、その場で、おっぱいをぽろっと出した。

乳首を少し絞って見せる。

メガネをずらしながら、私のおっぱいを凝視すると、医院長は言った。

 

「出てるわ・・・・」「・・・奇跡起こしたわね!!!!」

 

この時の喜びは、忘れない。

部屋に急いで戻って、我が子にペロッと舐めさせた「初おっぱい」

将来の息子のお嫁さんにうっかり披露したくなっちゃっても仕方ないような

感動的なエピソードだ。

 

自分の支えになるもの

感情を表現するのはどうも苦手なのだけど

この時に込み上げてきた感情の一つ、一つを

味わうように噛み締めた。

 

「初母乳」ではあるけど、これはもう「初乳」とは呼べないそうで

母として初乳をあげられなかった残念さは、少しあった。

此の期に及んでまだそんなことを気にするのかと呆れるようだけど

残念なことは、やっぱり「残念だ」と言いたい。

 

それでもやっと、私のおっぱいを

産まれてきてくれた我が子にあげることができたのだという喜び。

 

私はおっぱいと会話(交渉)できた。

私は、おっぱいと会話できる女なのだ。

わたし、すごいっ!!

 

自信に満ち溢れていた。

 

今振り返ると、この時の私はまだ

「勝った」という高揚感の中にいたのかもしれない。

 

子育ては(人生は)「勝ち負けではないのだ」というのは

これからジワジワ苦しみながら、学んでいくことになる。

 

自分の勘をを信じて、ひたすら祈った時間。

母乳をあげられた時に感じた「自分は母親になったんだ」という自信。

 

「これからの子育てで何があっても、自分たちは大丈夫だ」という

自分を信じることができた体験は、その後の辛い出来事の中でも

本当に大きな支えになった。

 

 

自分を信じること。

「自己信頼」

これさえあれば、もう何もいらない。

ちょっと言い過ぎた。

これさえ自分にあれば、何があっても大丈夫だって、今は思っている。