おっぱいノイローゼになって気づきました

母親と、夫と、子ども。そして自分とのこと。

おっぱいに自信がなかった

これは、母乳育児につまずいた自分の記録。

その根底には、自己否定があったように思います。

 

目次

 

 

自分は女であることを申し訳ないと思っていた?

出産後、退院前日におっぱい(母乳)が出ない現実と向き合ってみて思ったこと。

私はおっぱいを隠して生きていた。

こんなものいらないって思っていた。

妊娠中の母乳について勉強するクラスに出た時に初めて

「お前もやっと役に立つ時が来るのだなあ」と

自分の体のパーツなのに、初めて見るもののように

しみじみと眺めたくらいである。

当然、誰かに見られるのも触られるのも、嫌で嫌で仕方がなかった。

 

おっぱいをあげることへの違和感

さっきまでお腹の中にいた赤ちゃんが目の前に現れたとき

その赤ん坊に、自分のおっぱいをくわえさせた。

そしてそれをみんなが注目して見ている。

居心地が悪かった。

乳をあげるのは、哺乳類として、当然のこと。

でもね。

自分は女じゃないし、人間じゃないし、哺乳類でもないですって言って

消えたくなった。

違和感が大きすぎて。

とりあえず、自分の中の哺乳類の性質を、自分で抑えた。

母との関係と、おっぱい

大人になることへの罪悪感

私は小さい時から、「大人になる」ということに罪悪感を感じていた。

自分が着実に大人になっていっていることを母親が知ったら

がっかりするんじゃないかとずっと思っていたし、隠していた。

自分は背が高かったので、成長も早い雰囲気があり・・・。

小学校高学年の頃胸が膨らんできそうな気配を感じて

毎晩お祈りした。

「どうか、胸が大きくなりませんように」

 

この時の祈りを撤回したく、高校生の頃にも同じように

「あの頃の自分はちょっとおかしかったんです」

と天に訴え続けたが、現実は変わらなかった。

そうして、小学生の時の願いだけが、叶えられた。

 

綺麗な体に産んでやったのに

背が高いことに自信が持てず

大きくなり始めた胸を隠そうとする小学生が猫背になるのは

ある意味で当たり前な気がする。

 

母親からの、ピシッと厳しい視線や言葉が飛んできた時だけは

シャキッと直立するが、基本は下を向いて生きている。

とにかくひどい猫背だったので

どんなに厳しく注意されても、治せなかった。

そして私の体は歪んでいた。

歪んだ体に乳首がついていただけで、胸も膨らまなかった。

 

後から先天性の病気だということがわかるのだけど

母は私の細くて薄くて歪んだ身体を見るたびに嘆き

「綺麗な身体に産んでやったのに」と怒った。

 

寝ている時に、丸まって寝ていることにも怒り

仰向けで寝るよう指示をした。

寝返りをして横を向いて体が曲がっているのに母親が気づくと

怖い顔、怖い声で、起こされた。

目を覚ました自分は、また眠りにさらわれるまでの長い時間

天井を見て泣いていた。

お母さんは私を綺麗な体にしてくれたのに

自分で台無しにしてしまったダメな子なんだと、謝りながら泣いていた。

 

母が満足する「かわいい」

これは私がだいぶ、ひねくれていると思うのだけど

母に愛されるためには

「ほどほどに可愛い」というのは必須だと思っていた。

 

小学生になった私は毎朝、鏡の前でコーディネートをチェックしていた。

ある日、突然、母に怒られた。

「もう鏡は見ちゃだめっ!!」

 

その理由もよくわからんかったが、今思うに

鏡の前で笑顔を作ったり、ポーズをとったりしている小さな女に

何かしらの母の中の「女」が刺激されたのだろうと思う。

とにかく鏡を見る女はバカなのだと、しつけられた。

「そうか、いけないことなのか」と知ってびっくりした私は

大きな鏡のある部屋に入る時はその部屋に入る理由を言いながら

顔を大きく右か左に向けて入室し、用を済ませた。

公衆トイレなどで手を洗う時にうっかり鏡を見てしまった時は

鏡の中の自分を睨みつけた。

 

しかし、私が「お母さんに似て美人ね」「可愛いわね」と人に褒められると

母はとても喜んだ。

しかし私が喜ぶと「調子にのるな」と叱った。

母が選んだ服を着てニッコリ笑うと、母はとても満足した。

しかし何かしらの度を越えると、いつも嫌がった。

私はおしゃれが好きな子だった。

「この子はおしゃれな子だ」とか「この服はセンスがいい」

というような感覚は結構わかる子だった気がする。

 

でもそんな自分のおしゃれに対する憧れを、母は

「おませさんね・・・」と嫌な顔をして拒否した。

自分の体型がわかる服を着ると「みっともない」と言った。

 

そんな環境の中で、自分の中での「母がOKな範囲」という物差しが

すっかり出来上がり、その基準で最近まで生きていた。

いや、今もその範囲で生きているかもしれない。

 

「センスがよく小綺麗でいることは必須、でも調子に乗ってはいけない」

 

自分の体に自信がないから、恥ずかしくて好きな服は着れないって

どこかでまだ思っているかもしれない。

 開放的におしゃれを楽しんでいる人をみると憧れる。

そういう気持ちよさを、私も感じたい。

 

今残っているのは、もっと若い頃に、弾けた化粧や服を着て

女としてブイブイ青春を謳歌したかったという想いである。

 

気づいた時に手放せばいい

 

そして母は「大人になりなさい」と言いつつ

いつまでも自分の可愛い子どものままでいることを求め

女になることを嫌がりつつ

女としてそれなりの評価をもらうことを望んでいたような気がする。

 

母は私が大人になっていくこと、女の喜びを味わうことに

度々嫌悪感を見せていたようにしか見えなかったけど

実際彼女がどんな気持ちだったかはわからない。

 

母の期待に応えられず、大人になり、女になっていった私には

とりあえず罪悪感だけがあった。

 

これ、言い換えれば

「自然に逆らえなかった・・・」という

逆らおうとしたけどかなわなかったという嘆きなんだけど

そりゃ、自然には逆らえませんがな。

 

自分も母も、バカなんじゃないか。

でもそんなバカなこの親子は今も

痛みをいっぱい抱えて生きているんですよ。

 

自然の摂理に抗ってまで、何を守ろうとしていたんでしょうね。

 

母と娘のこの難しい関係というのは

触れたことがある人にしかわからない質感であると思う。

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でも自分で気づくこと、封印していた気持ちに光を当てていくこと。

そこから育てていくこと。

これを続けていければ、もう何も怖いことはない。

 

自分も母も、きっと、痛かった。

でも、とても愛おしい。