おっぱいノイローゼになって気づきました

母親と、夫と、子ども。そして自分とのこと。

里帰りの話「夫婦の問題」

自分が結婚して、さらに親になって思うけど

母親の精神状態って夫(父親)との関係性によって

かなり変わると思う。

小学校で自分が勤めている時に関わっていた不登校に悩んでるお母さんは

ほぼほぼ全員って言っていいくらいお母さんが一人で頑張っていた。

本当に一人ぼっちで、頑張って子育てしているお母さんって多い。

今日は夫婦の問題について。

 

目次

 

 

お父さん初めての沐浴

私は里帰りした。

そして退院する際に、助産師さんとうちの両親が世間話で

「お父さん、沐浴やってみませんか?」という話になったらしい。

 

というのも、うちの父さん、3人の子どもが、そして3人の孫がいるのだが

一度も沐浴をしたことがないらしい。

「とても素敵な体験になるはずだから、お孫さんの沐浴どうですか?」

と言われて、すっかりその気になったらしい。

 

そのことを母と父が楽しそうに、私たち夫婦に告げた。

話の流れのごく自然なカタチで

「では、お願いします」と私の両親に、夫は頭を下げた。

母と父は嬉しそうだった。

 

助産師さんからはあらかじめ

「娘さんは体調も悪いので、沐浴は他の家族で協力してあげてくださいね」

ってご家族のみなさんに伝えたよと、聞いていたのだが

このような展開になっていたのねと、私も嬉しかった。

 

 

 「じゃあ、早速明日から、11時頃がいいかしら?」

母が言い、私たちは同意した。

 

 これが母の苦労か

翌日11時になりカメラを持って、赤子を抱いて、リビングへ行くと父が新聞を読んでいた。

 

私「お母さんは?」

父「いや、さっき、じゃあ沐浴よろしくねって言って出かけていったよ。」

私「え?お母さんも一緒に沐浴やるんじゃないの?」

父「俺もそう思ってたんだけど。出かけていっちゃった。

俺はできないから、一人でやって。

私「なんでだよ!!!!」

 

 

この時思ったことは

①母はこうやって父に対して諦め、一人で子育てをしていったんだろうな。

②母よ、なぜ、私に黙って出かけていった?(仕返しか?)

③父よ、なぜ、この状況で新聞読んでる?(焦りを隠してた?)

 

一つ、確認なのだが、私の両親は

「お母さんはお父さんのことを信頼して一人任せたんだね☆」というような関係性ではないということだ。

父が困り果てるだろうことは、母は理解していただろう。

 

「お母さんって本当性格悪いよね。

でも全部お父さんのせいだと思ってるよ。」

 

なんか自然と、言葉が出ていった。

父は「えぇー、そりゃあないぜ」って言ってた。

 

とりあえずだ。

私は身体がお産でボロボロで辛いから、協力して欲しいことを伝えた。

←以前の自分だったら絶対言えなかった。

でも怒りのパワーが後押ししてか、父に言えた。

 

そして「その、赤子をお風呂に入れてあげるという役割を望んで自ずから手を挙げたんじゃなかったのかね?」

という事実を父と確認した。

 

父はそもそも

やり方がわからないとゴネるので

私はYouTubeで動画を探し

メモ紙とペンを渡して父と2人で見た。

こうしたやり取りを経て。

渋々、父は自分がやることに覚悟を決めたようだ。

 

改めて、母の長年の苦労を感じた。

(この世代の夫婦のテーマなのかもしれない)

 

沐浴は和やかなものではなかった。

私は終始大丈夫かな〜と父を疑い

父も娘にろくに信頼されないまま

孫を抱くことになり

さらに、生まれたての赤ちゃんは

どうにも柔らかすぎる

 

父の不安は毛穴から溢れていた。

 

でも動画で紹介された一通りのことを済ませ、父もホッとしたのか

最後の最後で、風呂桶の上で

麺の湯切りのように

赤子を振って、水を切っていた。

そんな姿に恐怖も感じつつだが

 

沐浴は無事終わった。

 

 

 

母が望んだ反応は?

片付けをして父が帰り、授乳を終え、やっと一息ついたところで

母親が自宅に帰ってきた。

駅前で一人でランチしてきたらしい。

 

真っ先に「お父さんどうだった?」とはしゃぐように、私に嬉しそうに聞いてきた。

その顔は「お母さんがいなくて大変だったんだから〜」

という言葉を待っているように見えた。

 

私は「お父さんはちゃんとやってくれたよ」とだけ伝えた。

「ふーん」と、つまらなそうな顔をした母を背にして、私はこっそり母を睨んだ。

 

夫に叱られる

ことの顛末を、夜、夫に伝えた。

私の話の結論が「お母さんがいなくて大変だったことは悔しいから、言わなかった」

だったので、私は夫に怒られた。

 

「親子の問題に、その下の福ちゃん(息子)を巻き込まないで。」

 

夫に怒られて、私はすごくびっくりした。

 

夫の主張はこんな感じだった。

・沐浴は体調の悪いママではなく他の家族がやるべき。

・経験者の義母が一緒にいると思ったから義父とも関わってもらえて嬉しいと思っていた。

・義父には経験がないのでしょう?義母が一緒にやるつもりがないなら、そのことを断って欲しかった。(俺も頭を下げて二人にお願いをしたはずだ。できないなら俺がやるんだった。)

・急な用事があるなら仕方がないが、え?ランチ?え?

・お母さんも息抜きが必要だったのかな?でもさ、ランチに行くなとは言わないけど、その前にできることあったんじゃね?

(やり方を教える。準備を手伝う。初回は見守る・・など)

・そもそもなんで、娘に黙っていなくなった?

なにが目的?

 

「いや、あのさ、あなたの疑問、主張は、私のと全く同じやねン。」って

怒られながら私はオロオロした。

 

でも夫から見ると、私も批難の対象だったのだ。

 

自分の親子の問題に、福ちゃん(息子)を巻き込まないで。

 

この言葉は時々、思い出して、ぐさっとなる。

 

福ちゃんを安心してお風呂に入れてあげたかったんでしょう?

その安心が守られなかった感じがあるんでしょう?

お母さんから意図的な何かを感じて、不満があったんでしょう?

なのに、なんでそのことをお母さんに言わなかったの?

 

珍しく夫に問われて、考えた。

 

そこにお母さんの復讐を感じたから。

リベンジを感じたから。

だからその復讐劇に乗りたくなかった。

 

「このリベンジは失敗でしたよ?あなたがいなくても、平気でしたよ?」という顔をしたかったのだ、私は。

 

関係のない福ちゃんを巻き込んじゃったかな、あたし。

 

でもさ、これ、そもそも「両親の夫婦の問題」に

私たち親子(自分と福ちゃん)が巻き込まれてないか? 

 

父と母、もうそちらで仲良くやってくれよ、知らんよ。

 私もここで断ち切りましょう、連鎖を。

 

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翌日も、父は11時にリビングに一人で座っていた。

私がいたのも短い間だったけど、在宅の間、父は一人で沐浴を続けてくれた。

 

意外に感じたのは私だけで

父は「え?当たり前だろ?やるって言っただろ?」という感じだった。

 

私は父のことをあまりわかっていなかったのかもしれない。

父が赤子を抱いて、せっせっとお風呂に入れてあげている姿をみて

 

私は父が好きだと思った。

 

 

里帰りの話「これは強化合宿か?」

出産後、母乳が全く出ないことに悩んでいた時に

いつも脳みそに張り付いていたのは「母親の声」だった。

 

目次

 

 

脳みそに張り付いていた声 

「母親失格ね」

「そんなんじゃ子どもは育てていけないわよ」

「はあー、もう見てられない、お母さんに貸しなさい」

 

助産院の部屋の中。

そばには赤ちゃんしかいないのに

私を責める声が、ひっきり無しに、聞こえる。

 

助産院にある赤ちゃんの人形を借りて、抱っこの練習をした。

抱っこが下手だったり、危なっかしい場面を見せてしまうと

母親に赤ちゃんを取られてしまう、と思っていた。

脳みそに張り付いた声を

自分でベリベリと剥がすのは難しかった。

 

里帰りをしたくなかった

退院前夜、助産師さんたちの前で泣いていた時に

「里帰りしたくない」と言った。

 

「じゃあ、しなくていいわよ。

あの旦那さんなら、2人でもやっていけるよ!」

と声をかけてもらった。

 

子育ては本当に大変で想像以上だ。

新米パパママだけでは困ることも出てくるから

自分たちでやろうとしなくていい。

できる限り色んな人を頼った方がいい。

 

これは色んな場所で、もちろん、この助産院でも言われ続けていたことだ。

でも「あなたたちなら2人でも頑張れるよ」と励ましてもらったことで

気持ちがすごく軽くなった。

 

駆け落ちする恋人や、10代で母親になる人たちも

きっとこのような励ましに鼓舞されるんだろうなと

そんなことをぼんやり考えていた。

 

実際、どう行動するかは別としても

「自分はいつだって選択できるのだ」と

気づくことで勇気づけられる。

 

しかし、私は里帰りを選んだ。

やはりどこかで、「帰らない」という選択肢は

自分にはないような気がしていた。

 

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母に恥をかかせるということ

花が生けてある立派な玄関で、出迎えてくれた母は笑顔だった。

この笑顔が見れてよかった。

私がもし帰らないと言っていたら大変なことになっていただろう。

「恥をかかされた」と真っ赤な顔をして怒る母親を見なくて済んだことに

ホッとしていた。

 

しかし、一つ母は恥をかいていた。

助産師さんから「母乳育児は人の目があるとプレッシャーに感じることもあるので

娘さんに任せてあげてください。」

と言われたことを面白くないと感じていたようで

もう、小言が止まらないのだ。

 

実家に帰り、私が赤ちゃんにおっぱいをあげる。

その横で母は正座をして、私たち親子をうちわであおいでいる。

覗きこむようにおっぱいを見ている母を、なるべく見ないようにした。

なるべく見ないようにするが、厳しい表情で見つめていた。

母は時々、私の乳首を引っ張り、「出てるわね」と確認をした。

 

もう我慢ができない。

 

「助産師さんになんて言われたか覚えてる?」

 

私が聞くと、瞬間的に、怒りで燃え上がった母は言った。

 

「他人が全く、失礼よね」

「私たち親子のことなのに」

 

母が私たちのことを「親子」と言ったので、私はギョッとした。

 

親子。

親子のこと。

親子だから、なんなんだ?

 

私の中にそういう想いはなかった。

 

この人と、私は親子なのか。

私はこの目の前の赤ちゃんと、どういう親子になっていくのだろう。

 

自信がなくて、消えたくなった。

 

母の親切

母はいつも、私に嫌がらせをしているんだと思っていた。

小さい頃から、割とずっと、思っていた。

 

私が何をされるのが嫌か知っていて、あえてやっている。

私が何をしてほしいのか知っていて、あえてやらない。

 

この里帰りは、強化合宿のようだった。

里帰り中の話を、年配の方にした時に

「お母さんは応援していたのね」と言うもんで

私は心底びっくりした。

 

実際、母は自分のおかげだって言っていた。

おっぱいが出なくて大変だったけど

私が見てあげたおかげで

母乳で育てられたから、よかったわね!と。

私が見てあげたのよ!と。

あのままだったら、苦労したわよ!と。

 

 

そうだ、私は、このズレが、ずっと辛かったのだ。

 

母親が「やってあげた」「自分は感謝されて当然」と思っていることは

私にとって迷惑であることが多かった。

 

娘が迷惑だと思っていることを知ったら

母は怒るだろうか。

血の涙が出るようだわ、と大げさなことを言って

いつものように泣くのだろうか。

 

そうだ、母はいつも自分は被害者だと言って泣いた。

 

こんなにも大切にしてあげたのに・・・

こんなにも色々なことをしてあげたのに・・・

恩知らず!

恩を仇で返された!

恥を知れ!

親の言うことがわからないなら出てけ!

 

獲得した学習能力

私は私の感情を外に出してはいけない。

本当のことは言ってはいけない。

そして、この母親のように感情がコントロールできない人は

きっと誰とも本当の意味で繋がれない。

私が母と繋がっていないと感じているように。

私は、自分の感情を操れるようになろう。

 

 

私は小さいときから、こう学習していたのだ。

でもこれは本当に正しいのか?

 

 

今の時点で思うこと。

それは感情からしか本当の自分の願いとは繋がれない。

本当の自分と繋がらないと、人とも繋がれない。

私も相手も、感情を押し殺す必要なんてない。

 

じゃあ、どうするか?

私は人と深く繋がりたかった。

家族と深く繋がりたかった。

 

こうして私は子育てをしながら

自分の感情と、自分の育ちについて

向き合っていくことを決めたのだ。

 

「戦う」おっぱい

出産後、母乳が全く出ないまま、5日も経ってしまった。

今回の話は、退院前日の記録です。

結論を先に言うと「おっぱい出ました」

 

目次

 

回復に必要な本当のケアとは

退院前夜、助産院の医院長とおしゃべりしました。

赤ちゃんのお世話で頭がいっぱいだったのを感じて来てくれたんだと思う。

 

泣く赤ちゃんを抱っこしたり、哺乳瓶でミルクをあげたりしながら

私の話をとにかくたくさん聞いてくれました。

他愛のない話も、真剣な話も。

 

不安でいっぱいの夜も、こうして誰かがそばにいてくれて

「自分が自分で回復していくためのスペース」を用意してもらえるというのは

こんなにもありがたいことなんだな、と思った。

長い間、人との距離の取り方がわからなかったけど

この日、心地良い関係というのを、心で感じました。

 

そして心と身体が、こんなにも繋がっているのかというのを

この「おっぱい出ない問題」で

とてもとても。

痛いほど。

感じた。

 

自分は保健室の先生だけど、私は医院長がしてくれたようなケアを

子どもたちにできていなかった。

 

誰かがそばにいてくれて、そこには信頼があって

自分で自分を信じて、心と身体を回復させていく。

こんな回復のカタチがあったのか、と思った。

 

そしてこの「おっぱい出ない問題」は

本当に本当に「痛い」経験だった。

振り返るたびに「痛み」も思い出すけど

ずっと忘れないようにしよう、と心に決めた体験だった。

見ないようにするのではなく

時々、光を当てて思い出そうと決めた

そういう体験だった。

 

まだ戦おうとしていた

医院長が部屋から出ていく時

「奇跡が起こりそうな気がする」と言ってくれた。

私は「はい。勝てそうな気がします!戦います!」と言った。

 

その時、医院長はとてもびっくりした顔で

「・・・何と戦うの?」

と言うもんで。

私はきっと、さらにびっくりした顔をしていた。

 

何と戦うの??

 

さあ?

 

何と戦おうとしていたのでしょうか。

何に勝とうとしていたのでしょうか。

私は何かに勝ちたかったんでしょうか。

 

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医院長が部屋を出て行ったあと

ボロボロぼろぼろ・・・いろんな感情が出てきて。

 

ずっと忘れてたけど。

どこかでいつも影を落としていただろうおっぱいの記憶。

自分を大事にしてこなかった、悲しみ。

何かといつも戦って、緊張していた、心と身体。

 

「ああ〜私、辛かった・・・」って、泣いたん。

もう「戦うのはやめよう」って泣いたん。

俺ね、すごい、泣いたんよ。

 

そして、出た

自分で自分をハグして

おっぱいに優しくタッチし続けて

何時間も、子どもみたいに泣いていたら

 

おっぱいがジワジワ〜と熱くなってきたんですね。

 

この時は「あれ?熱出てきたかな?」と思った。

 

睡眠不足が続いた時の、「あれ?風邪ひいた?」みたいな感覚で

「やだ〜!酸っぱいものでも飲んで、そろそろ寝ようかな」

と思ったんだけど

なんか違う。

 

乳首から、何かが、滲んでる。

何かしらの〜液体が〜出てる。

 

汗?

 

これは風邪?そして汗?

 

でもおっぱいが、すごく痛い。

 

こんなに私のおっぱいが主張したのは、たぶん思春期以来だ。

あのブラジャーを拒否していた頃、100メートル走を走った時の痛み以来だ。

 

もしかして

おっぱい出てるんじゃないか?

 

夜中私の話に付き合ってくれて

明け方の今やっと寝ただろう医院長を起こすのも

気が引けたんだけど、心臓のバクバクが止まらない。

「私の願いがおっぱいに届いたのかもしれない」

医院長に内線をした。

 

部屋を飛び出し、医院長のもとへ向かう。

同じく部屋を飛び出して駆けつけてくれた医院長と顔を合わせ

階段の真ん中、その場で、おっぱいをぽろっと出した。

乳首を少し絞って見せる。

メガネをずらしながら、私のおっぱいを凝視すると、医院長は言った。

 

「出てるわ・・・・」「・・・奇跡起こしたわね!!!!」

 

この時の喜びは、忘れない。

部屋に急いで戻って、我が子にペロッと舐めさせた「初おっぱい」

将来の息子のお嫁さんにうっかり披露したくなっちゃっても仕方ないような

感動的なエピソードだ。

 

自分の支えになるもの

感情を表現するのはどうも苦手なのだけど

この時に込み上げてきた感情の一つ、一つを

味わうように噛み締めた。

 

「初母乳」ではあるけど、これはもう「初乳」とは呼べないそうで

母として初乳をあげられなかった残念さは、少しあった。

此の期に及んでまだそんなことを気にするのかと呆れるようだけど

残念なことは、やっぱり「残念だ」と言いたい。

 

それでもやっと、私のおっぱいを

産まれてきてくれた我が子にあげることができたのだという喜び。

 

私はおっぱいと会話(交渉)できた。

私は、おっぱいと会話できる女なのだ。

わたし、すごいっ!!

 

自信に満ち溢れていた。

 

今振り返ると、この時の私はまだ

「勝った」という高揚感の中にいたのかもしれない。

 

子育ては(人生は)「勝ち負けではないのだ」というのは

これからジワジワ苦しみながら、学んでいくことになる。

 

自分の勘をを信じて、ひたすら祈った時間。

母乳をあげられた時に感じた「自分は母親になったんだ」という自信。

 

「これからの子育てで何があっても、自分たちは大丈夫だ」という

自分を信じることができた体験は、その後の辛い出来事の中でも

本当に大きな支えになった。

 

 

自分を信じること。

「自己信頼」

これさえあれば、もう何もいらない。

ちょっと言い過ぎた。

これさえ自分にあれば、何があっても大丈夫だって、今は思っている。

 

 

おっぱいに自信がなかった

これは、母乳育児につまずいた自分の記録。

その根底には、自己否定があったように思います。

 

目次

 

 

自分は女であることを申し訳ないと思っていた?

出産後、退院前日におっぱい(母乳)が出ない現実と向き合ってみて思ったこと。

私はおっぱいを隠して生きていた。

こんなものいらないって思っていた。

妊娠中の母乳について勉強するクラスに出た時に初めて

「お前もやっと役に立つ時が来るのだなあ」と

自分の体のパーツなのに、初めて見るもののように

しみじみと眺めたくらいである。

当然、誰かに見られるのも触られるのも、嫌で嫌で仕方がなかった。

 

おっぱいをあげることへの違和感

さっきまでお腹の中にいた赤ちゃんが目の前に現れたとき

その赤ん坊に、自分のおっぱいをくわえさせた。

そしてそれをみんなが注目して見ている。

居心地が悪かった。

乳をあげるのは、哺乳類として、当然のこと。

でもね。

自分は女じゃないし、人間じゃないし、哺乳類でもないですって言って

消えたくなった。

違和感が大きすぎて。

とりあえず、自分の中の哺乳類の性質を、自分で抑えた。

母との関係と、おっぱい

大人になることへの罪悪感

私は小さい時から、「大人になる」ということに罪悪感を感じていた。

自分が着実に大人になっていっていることを母親が知ったら

がっかりするんじゃないかとずっと思っていたし、隠していた。

自分は背が高かったので、成長も早い雰囲気があり・・・。

小学校高学年の頃胸が膨らんできそうな気配を感じて

毎晩お祈りした。

「どうか、胸が大きくなりませんように」

 

この時の祈りを撤回したく、高校生の頃にも同じように

「あの頃の自分はちょっとおかしかったんです」

と天に訴え続けたが、現実は変わらなかった。

そうして、小学生の時の願いだけが、叶えられた。

 

綺麗な体に産んでやったのに

背が高いことに自信が持てず

大きくなり始めた胸を隠そうとする小学生が猫背になるのは

ある意味で当たり前な気がする。

 

母親からの、ピシッと厳しい視線や言葉が飛んできた時だけは

シャキッと直立するが、基本は下を向いて生きている。

とにかくひどい猫背だったので

どんなに厳しく注意されても、治せなかった。

そして私の体は歪んでいた。

歪んだ体に乳首がついていただけで、胸も膨らまなかった。

 

後から先天性の病気だということがわかるのだけど

母は私の細くて薄くて歪んだ身体を見るたびに嘆き

「綺麗な身体に産んでやったのに」と怒った。

 

寝ている時に、丸まって寝ていることにも怒り

仰向けで寝るよう指示をした。

寝返りをして横を向いて体が曲がっているのに母親が気づくと

怖い顔、怖い声で、起こされた。

目を覚ました自分は、また眠りにさらわれるまでの長い時間

天井を見て泣いていた。

お母さんは私を綺麗な体にしてくれたのに

自分で台無しにしてしまったダメな子なんだと、謝りながら泣いていた。

 

母が満足する「かわいい」

これは私がだいぶ、ひねくれていると思うのだけど

母に愛されるためには

「ほどほどに可愛い」というのは必須だと思っていた。

 

小学生になった私は毎朝、鏡の前でコーディネートをチェックしていた。

ある日、突然、母に怒られた。

「もう鏡は見ちゃだめっ!!」

 

その理由もよくわからんかったが、今思うに

鏡の前で笑顔を作ったり、ポーズをとったりしている小さな女に

何かしらの母の中の「女」が刺激されたのだろうと思う。

とにかく鏡を見る女はバカなのだと、しつけられた。

「そうか、いけないことなのか」と知ってびっくりした私は

大きな鏡のある部屋に入る時はその部屋に入る理由を言いながら

顔を大きく右か左に向けて入室し、用を済ませた。

公衆トイレなどで手を洗う時にうっかり鏡を見てしまった時は

鏡の中の自分を睨みつけた。

 

しかし、私が「お母さんに似て美人ね」「可愛いわね」と人に褒められると

母はとても喜んだ。

しかし私が喜ぶと「調子にのるな」と叱った。

母が選んだ服を着てニッコリ笑うと、母はとても満足した。

しかし何かしらの度を越えると、いつも嫌がった。

私はおしゃれが好きな子だった。

「この子はおしゃれな子だ」とか「この服はセンスがいい」

というような感覚は結構わかる子だった気がする。

 

でもそんな自分のおしゃれに対する憧れを、母は

「おませさんね・・・」と嫌な顔をして拒否した。

自分の体型がわかる服を着ると「みっともない」と言った。

 

そんな環境の中で、自分の中での「母がOKな範囲」という物差しが

すっかり出来上がり、その基準で最近まで生きていた。

いや、今もその範囲で生きているかもしれない。

 

「センスがよく小綺麗でいることは必須、でも調子に乗ってはいけない」

 

自分の体に自信がないから、恥ずかしくて好きな服は着れないって

どこかでまだ思っているかもしれない。

 開放的におしゃれを楽しんでいる人をみると憧れる。

そういう気持ちよさを、私も感じたい。

 

今残っているのは、もっと若い頃に、弾けた化粧や服を着て

女としてブイブイ青春を謳歌したかったという想いである。

 

気づいた時に手放せばいい

 

そして母は「大人になりなさい」と言いつつ

いつまでも自分の可愛い子どものままでいることを求め

女になることを嫌がりつつ

女としてそれなりの評価をもらうことを望んでいたような気がする。

 

母は私が大人になっていくこと、女の喜びを味わうことに

度々嫌悪感を見せていたようにしか見えなかったけど

実際彼女がどんな気持ちだったかはわからない。

 

母の期待に応えられず、大人になり、女になっていった私には

とりあえず罪悪感だけがあった。

 

これ、言い換えれば

「自然に逆らえなかった・・・」という

逆らおうとしたけどかなわなかったという嘆きなんだけど

そりゃ、自然には逆らえませんがな。

 

自分も母も、バカなんじゃないか。

でもそんなバカなこの親子は今も

痛みをいっぱい抱えて生きているんですよ。

 

自然の摂理に抗ってまで、何を守ろうとしていたんでしょうね。

 

母と娘のこの難しい関係というのは

触れたことがある人にしかわからない質感であると思う。

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でも自分で気づくこと、封印していた気持ちに光を当てていくこと。

そこから育てていくこと。

これを続けていければ、もう何も怖いことはない。

 

自分も母も、きっと、痛かった。

でも、とても愛おしい。

 

母乳育児に、手遅れも、正解もない。

さて、おっぱいが出ないと気づいて慌てた

自分がしたこととは?

そのことについて。

 

 

手遅れという言葉に動揺したけど

まず、産後5日経ってました。

これって一般的に考えると、「手遅れ」と言われることもあるようです。

手遅れって言葉怖くないですか?

話は少し逸れるけど、手遅れとか、もう時間は(信用は)取り戻せないとか

そういう類の言葉が本当に怖い。

 

そんなネットに溢れる情報に動揺しながらも

(母親を責めるような情報もあり)

私が希望を捨てずに頑張れたのは、友達の経験談でした。

(あと、助産師さんに「奇跡を起こせる人」と言われて、その気になった)

 

友達は産後体調が悪くカンガルーケアはできず

入院中も初めの頃は母乳をあげられなかったそうです。

それで3日目からおっぱいをくわえさせ始めて

5日目に初めて出た母乳が4mLだったそうです。

彼女は産後、手術をして母乳があげられない時期もありましたが

また再開した後は、ミルク不要なくらい

たくさんおっぱいが出ていたし

可能性はいくらでもあるんじゃないかな。

 

私はこれを聞いて、自分も可能性はあるって勇気づけられました。

もし出産後、何らかの理由で母乳育児がスタートできなかったという人も

母乳を子どもに飲ませたいという

気持ちがある人には

諦めないでトライしていってほしいと思います。

生まれた日を0日と数えて

5日目に私は母乳が出ました。

手遅れだと思って諦めなくてよかった

という想いがあるので

ここに書きます。

 

母乳育児が正解ではない

でも後々書きたいと思っているのですが

母乳育児が全てでないということ。

母乳育児にこだわらなくていいということ。

もっともっと大事なことは

いっぱいあると思います。

決めるのはお母さん自身。

自分の心が、母乳をあげたいと思っているならできることをやってみたらいい。

「〜べき」もない。

正解もない。不正解もない。

そして誰に何も言われる筋合いはないと思いますよ。

 

私がしたこと

私がしたことは

・おっぱいマッサージ

・赤ちゃんを抱く・タッチする

・念を送る

・気持ちを整理する

 

でした。私に一番必要だったのは赤ちゃんを抱っこしたりタッチしながら

「気持ちを整理する」だった気がします。

 

母乳をあげている自分に違和感があった

まず5日目まで私は母乳をあげている自分にすごく違和感があった。

目の前の赤ん坊は、確かに自分から出てきた小さな人間で

すごく可愛いのだけど

「自分が母親で、この子が子ども」という関係性にしっくりきていなかった。

 

なんかわからないけど

宇宙からすごく大事な来客があって

そのお客さまには手厚いお世話が必要で

そしてこのお客さまは何処へも帰らず

どうやら、ずっと私を頼りに生きていくらしい

という事実に驚いていた。

どこかに帰られちゃ、すごく困るんだけどね。笑

 

ゆっくり親になればいい

余談だけど、その後、2ヶ月くらいまでは

「この子は死んでしまうかもしれない」と思って

毎日緊張していたし

それから数ヶ月間は、夢に出てくる赤ん坊は

特定のだれかというより「赤ちゃん」って感じだった。

 

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でもある日の夢で「福ちゃん」が出て来て。

夢から覚めたあと

「福ちゃんは無意識のレベルで、本当に私たちの家族になったんだ」

と実感しました。

その前までももちろんずっと家族だったんだけどね。

でもあの日、夢の中で確かに息子は特別な存在で

そして自分と一緒にいるのが当たり前すぎるほど当たり前の

登場人物「福ちゃん」だった。

 そうやって、私はゆっくりゆっくり母親になりました。

現在進行形です。

 

今でも息子を見て不思議な気持ちになることあります。

ただ、目の前の人間は自分とは違う人間であること。

そして、死ぬまで親子、どころか

いつか死んでも私たちはずっと親子

 

不思議だなって思いながら

親になった喜び(不安も含む)を実感している毎日です。

 

 

退院する前夜に、おっぱいと話したこと

おっぱいについて

このブログでは「おっぱい、おっぱい」と連呼しますが

「おっぱい」とは「母乳」と「その母乳が出る乳房」のことを言います。

 

というのも、出産するまでは公共の場で「おっぱい」なんて

絶対言えなかったなって思い出したんですよ。

乳房とか乳首とか絶対無理。

う〜ん、バスト、胸は言えたかな・・・

げんこつ山のたぬきさん〜♪ うッたい飲んで〜ねんねして〜♪

くらい、ぼやかして発音していたんですよ。

でも「おっぱい」って言葉、可愛いなって思います、今は。

今は、愛着が半端ない。

慣れというのは、不思議なものです。

 

目次

 

 

自分の思考の癖

さて、おっぱいが出ないまま退院するのは嫌だと思っていた自分。

なんでかというと、医院長や助産師さんに

「無事、おっぱい出るようになりました!ありがとうございました!」

って言いたかったから。

(時間的なタイムリミットも感じてかなり焦っていました。)

 

これ私の癖だなって思うんだけど

私は早く「私はもう大丈夫です!」って人に言いたくなっちゃうんですよね。

言いたいというレベルじゃなく、もうそれが全て、みたいな感じ。

早くそう言えるようにならなきゃって、なってる。

補足ですが、こういうの、ほんと大事だと思うんですよ!

「待ってくれている人がいたから頑張れた」とかそういうストーリーが

私も大好きだし、すごく励みになるのは確かですよね。

でもそれが全てではないはず。

 

ここで私が整理したかった理由は

「弱っている自分には価値がない」というような思考からきていて

本当の自分を誤魔化しながら生きていたな、というようなことを感じたからです。

 

 自分がいつでも気にしていたこと

そして「おっぱいが出ない」と

とうとう気づいた時に真っ先に、私が気にしたこと

 

・お母さんに認めてもらえない

・母親失格だと思われる

・夫や義父母はどう思うだろうか

・おっぱいをあげずに育てている人はどれくらいいるのか?

・初乳をあげれなかった人はどれくらいいるのか?

・粉ミルク代はどれくらいかかるのだろうか?

 

と、こんなカンジだったんですね、正直に言うと。

 

え?赤ちゃんのことは??

赤ちゃんに母乳で育って欲しいという思いは??

 

自分が周りからどう見られるか

平均的な何かと比べてどこの位置なのか

どう評価されるのか

そしてどんな負担があるのかという

 

本当に呆れるくらい自分のことばかりで

我が子に対する願いとか、おいてきぼりでした。

 

そのことにまず気がついたこと。

立派な母親として誰かに認めてもらえるよう繕うポーズじゃなくて

もっと純粋に我が子への願いにフォーカスしようって思ったんです。

 

自分はこの命とどう向き合っていくのか

そういうことを一晩かけて真剣に考えました。

 

たたかわず、いたわることに集中した

そして自分の体を大事にしてこなかったことについても考えました。

自分を大事に思えず投げやりであったこと

女であることを否定したいような気持ち

思春期の戸惑い

自分の胸にまつわる、母親とのエピソード

 

ボロボロぼろぼろ・・・いろんなものが出てきて

「ああ〜私、辛かったな・・・」って泣いたんです。

 

私辛かったな、ずっと緊張してたなって。

私のおっぱいはガチガチでした。

 

産後の入院中、おっぱいのケアしてくれた助産師さんも

「硬いね〜」って言ってたなって思い出しました。

 

助産師さん「硬いな〜・・今まで色んな人のおっぱい見てきたけど・・・」

 

見てきたけど??? って思って、その後の言葉を待っていたら。

「まあ、私も全てのおっぱいを知っているわけじゃないから」って。

 

何を言おうとして、何をためらったのかなって、気になったけど

怖くて聞きませんでした。

 

「おっぱい、あんたも辛かったね」

 

自分で自分を抱きしめるように

私はおっぱいを抱きしめて

泣きました。

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お母さん大変です!おっぱいが出ていません!

子どもを無事出産・・したにも関わらず退院前日

夫の前で私は泣いていた。

「一番大事なことが解決できない・・・」

産前産後、トラブルが多くて大変だったけど

奇跡的に一つずつクリアしてきた。

でも大事なことが残ったままだった。

 

おっぱいが、全く出ないのだ。

 

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 おっぱいが出ない

おっぱいが出ないどころか、大きくなる、張る、熱を持つなど

変化もまったくなし。

平たい胸に、申し訳なさそうに乳首が一つずつ、ついている。

その乳首を加えようと口をパクパクしている息子を

不思議な気持ちで眺めているうちに

出産から5日が経ってしまった。

 

「おっぱいが出なかったの」と打ち明けると

多くのママ友が「私もだったよ〜!」と言ってくれるのだが

私は本当にみなさまとは「出なかった」の次元が違ったと思う。

 

医院長からの衝撃的な宣告

退院を控えた私は、出産した助産院の医院長から宣告を受けたのだ。

 

「私が助産師になってから、多くのお母さんのおっぱいを見てきたけど、

ここまで変化がなくて、出なかった人はいなかったの。

母乳で育てたいという気持ちは、妊娠中から聞いてきたから

とても残念だけど。

ミルクで育てるということも考える時だと思うの。」

 

衝撃的すぎて目の奥が痛くなって

鼻血が出るかと思った。

(後頭部を殴られた時の現象)

 

本当にバカなのだが、医院長に言われるまで、私はなんとかなると思っていた。

5日間も。

呑気なのか。

とりあえず、自信があったわけでは決してない。

ただ、私が出産した助産院は、ほぼほぼ皆さん完母で育てている

ということを聞いていた。

私も助産院で出産すれば、自然に母乳が溢れ出し

イメージ通りのママ生活をスタートできると思っていたのだ。

 

 機能していなかった私のおっぱい

それに、おっぱいはすぐに出るものではなくて

くわえさせているうちに自然と出るようになると

色んな人から言われていたし、どの本を読んでもそう書いてあった。

だからずっと、時間が来ればおっぱいをくわえさせていた。

でも言われてみれば、助産師さんがスタッフミーティングの後に

代わる代わる部屋に来て励ましてくれたりしてたな。

(いや、ミーティングの内容は知らないけど)

 

え?私のおっぱい機能していないの??

 

話が違うじゃないか・・・

絶望感とともに湧き上がってきた気持ちは

「これじゃあ、母親失格だと思われる」という気持ちだった。

誰に?

誰にそう思われるの?

「私の母親に」です。

驚くことに、私は自分の母親に認められたくて

母乳で育てようとしていたのだ。

母乳が赤ちゃんにとっていいという情報はたくさん頭に入ってる。

だから母乳で育てたい、という気持ちよりも

・・・自分の立場を心配していたんだ!!!

 

私は何をしていたんだ。

出ないおっぱいをくわえさせ、お腹をすかせていた我が子。

助産師さんに「そろそろ粉ミルクをあげましょう」と言われて、渋々あげていた自分。

粉ミルク飲ませてしまったら、お腹いっぱいになって吸わなくなるんじゃないか

と思っていたからだ。

「完母で育てたいんですけど」って、どのおっぱいが言ってるねん!!

産まれたてでホカホカしている子どもを飢えで殺す気か。

 

完母というプレッシャー

話は逸れるけど、「完母」ってワードは、時にすごい暴力になると思います。

完全母乳。

完全という言葉から連想される

混じり気のない完璧さ、プライド、誇り。

私は「完母」という言葉に追い詰められました。

誰のせいでもないけど、自分で自分を追い込んだ。

完璧でありたかった。

たぶん、自然分娩とか、帝王切開とか

無痛分娩とか不妊治療とかも

無意識のプレッシャーが・・・ありますよね。

気軽にみんな言うけど。

望んだ結果じゃなかった人にとっては

傷つくことって、たぶんたくさんあります。

 

 

誰も傷つかない状況って無理難題だけど

でも、言わないようにしたり誤魔化したりするというよりは

言葉に責任を持って、自覚的に発信できたらいいなと思います。

 

 決断の夜

退院前日の夜、部屋に来てくれた医院長とたくさん話をしました。

医院長がかけてくれた言葉は

・たぶん機能的な問題ではないと思う。

・あなたは出産でも奇跡を起こしたのだから、今回も起きるかもしれない。

と、いうようなことだった。

 

私はというと、他愛もないことをずっと喋った。

結婚式が本当に楽しかったこととか

自分は本当はこういうことが好きなんだとか

実は里帰りしたくないんだとか

おっぱいなんていらないって思った思春期の話とか。

このままだと、赤ちゃんを母親にとられちゃうって

子どもみたいに泣いたりもした。

 

泣いたり、笑ったり、なんだか忙しい夜だったけど

自分の中で決断をした夜だった。

決断とは、何を選び、何を断つかはっきりさせることなんだと思う。

 

そして医院長が部屋を出て行った後

私は隣で寝ている赤ちゃんの横で声を出して泣いた。

 わーんって泣いた。

自分のおっぱいとたくさん会話した。(本気で言ってます)

 

会話してみたら、自分のおっぱいに謝りたくなるようなこと

アタシいっぱいしてたんですよね。

ここで名言を一つ。

 

おっぱいをいじめるというのは、自分をいじめるのと同等です。

自分を無意識にいじめ、ずっと何かと戦ってきた。

そんな自分に気づいた時に、奇跡は起こりました。

 

おっぱいノイローゼの日々を迎えて

そしてめでたし、めでたし・・・とはいかない

 迎えた育児ノイローゼ&おっぱいノイローゼの日々。

 

このブログではその迷子の日々を書いていきます。

実は今第二子妊娠中でして。

この日々を振り返り、記録に残すというのは

自分にとって、癒しの時間になる気がしています。

どうぞ、楽しくお付き合いいただけると嬉しいです。